親友を思い出す時(947回)

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親友を思い出す時(947回)

2020年10月29日(木曜日) テーマ:へら浮子制作日記

9010296.png一人でこつこつと工房に籠もって仕事をしてるときは、いろいろと考えながらやってます。

よく思い出すのが10年ほど前に独り言にも書いた親友だった山根のこと。

今から49年前中学入学と同時に阿佐谷に引っ越してきた私は、誰も友人がいなかったのですがしばらくして親友と呼べる友人が出来たのが山根である。

ひ弱で見るからに病弱な奴だったけど、お互い釣りが好きということで意気投合しました。毎日二人で学校帰りに寄るのは阿佐ヶ谷駅裏にある釣り堀『寿々木園』で塀によじ登ってへら釣りをしているのを眺めていたのです。

ある日二人でへら釣りをやってみようと胸をドキドキさせながら初へら釣りをしました。

私の竿は親父のマブナ竿で13尺。浮子は小学校の時使っていたトウガラシ浮子。今でもよく覚えていますが、一日やって2キロの釣果でした。数にしたらしれてます。しかしこの日以来へら釣りにのめり込み、現在もへら浮子を作ってる・・・

 

山根はへら雑誌を毎月買うようになって知識を私にも分け与えてくれました。

印旛沼中央水路が雑誌に載っていて早々に二人で電車に乗って行きました。しかし全く釣れず水路沿いの道を夕方トボトボと歩いた記憶が懐かしい。

多摩川に行ったときは大雨で今時のようなパラソルなんて無いので、普段使ってる傘の柄に棒をくくりつけ地面に刺し丸くなって震えながら浮子を見つめていました。

当時のエサはマッシュと赤へら。付録にさなぎ粉を使っていました。どうも練り加減が全くわからずある日山根の家でマッシュの練り加減の研究をした。あはは

お風呂に水を張り練ったマッシュを投げ入れます。どの程度の水と練り具合が良いのか二人で真面目にやるわけです。今時こんな中一はいないだろうなあ・・・

 

私は高校は千葉県に行ったので山根とは知らず知らずのうちに連絡もしなくなりました。30歳になった頃かな、山根の顔が見たくて家に行ってみたのです。

緊張しながら呼び鈴を押すと出てきたのがお母さんで私の顔をジッと見たあと『テッチャン?』そう言ってくれました。山根は元気でいますか?そう聞くとお母さんの顔がちょっと曇り部屋に案内されると仏壇の前でお母さんが、山根は大学卒業後の就職直後に東名高速で事故を起こし亡くなったと。

呆然と聞いていた後、二階の山根の部屋に案内されました。

きちんと整理されてる部屋の隅にへらバッグと竿ケースがあったのです。そうか山根はずっとへら釣りをやっていたのか!そうつぶやきました。

その瞬間あふれてくる涙。一緒に釣りをしたときのことが走馬燈のように思い浮かぶ茅春でした。

 

今でも山根に会いたいと思うときがあるけど、時期が来れば山根とはいつかまた再会するときが来る!そのときはあのときのように二人で釣りをしようと思ってる茅春です。

 

 

 



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